デバイス利用の変化からみる行動の変化

以下はドイツの Berliner Gazette に掲載された記事の日本語版です。震災後のソーシャルメディアの利用について意見を欲しいという依頼を受けて寄稿したものです。独自の解釈がありますが、参考になれば幸いです。
元記事: Internet entdecken: Wie hat die Dreifachkatastrophe die digitale Gesellschaft in Japan verändert?

2011年は日本にとってスマートフォン元年といっても過言ではない。以前から iPhone や Sony Ericsson の Xperia をはじめとした Android フォンを利用していた方はいたが、今年はテクノロジーやガジェットに強い感心をもっていない一般消費者も使い始めた年だ。10年以上フィーチャーフォンが大多数を占めていた日本の携帯電話市場。フィーチャーフォンにはTVの視聴や電子マネーなど日本人のニーズに合わせた独自機能を多数実装していることから、それらを実装していないスマートフォンは日本で受け入れられないと言われていた。

素晴らしい機能を数多く取り揃えているフィーチャーフォンだが、Web の利用に関しては十分であるとは言い難い。WAPほどではないとはいえ、表現もインタラクションも PC 向けに比べて制限がある。フィーチャーフォンにも PC 向けサイトを観覧するための Web ブラウザアプリがプレインストールされているが、動作は遅く手軽な観覧に向いているとはいえない。

日本のモバイルユーザーはフィーチャーフォンが提供する独自の機能やサービスを長く活用してきたわけだが、Web の活用という意味では十分とはいえなかった。キャリアは独自のネットワークをサービスとして提供しており、インターネットというよりイントラネットのような印象が強い。技術的な制限が多いことから、そのまま Web サービスの利用は難しいが、Webサービスを専用のアプリケーションとしてリリースされている場合もある。断片的に Web の可能性に触れる機会はあったものの、Web をそのまま体験できるスマートフォンのものとは異なる。Web がなくても十分に使えるという印象をフィーチャーフォンは作り続けていたのかもしれない。

しかし、その状況も 311 東北関東大震災で大きく変わる。当日は通話ネットワークはパンクし電話をすることが困難だった。メールを使うことは出来なくはなかったが、通信に時間がかかり緊急連絡を取り合う道具として使うことが出来なかった。こうした中、我々を救ったのが数多くの Web サービスとソーシャルネットワークである。知人や家族の声を聞くことができなかったとしても様々な Web サービスを通して近状情報を得ることが可能だっただけでなく、震災被害に関する第一次情報を得るための貴重な情報源となった。キャリアが提供する閉じたサービスが満足に使えない間に、開かれた Web を通してコミュニケーションがとれただけでなく、様々な情報やデータを組み合わせて震災の『今』を知るサービスやサイトが数々と生まれた。

2011年のスマートフォンの普及に震災が大きく影響したかどうは分からない。しかし、震災時に Web のもつ可能性やコミュニケーションのあり方に触れる機会を得て、それがキッカケでスマートフォンの購入を考えた方や Web について改めて知りたいと考えた方は少なくないだろう。

日本人は少々特殊なかたちで Web と付き合い続けていると思う。他の先進国と同じくらい Web を活用し続けているものの、Web のポテンシャルを十分活かしているのかといえばそうと言切れない。TV や新聞といった従来からあるメディアは Web の利用に積極的ではない。また、日本は先進国で唯一選挙活動に Web を利用することが出来ないことで知られている。 Web は常に我々の近くにあった存在ではあるものの、Web を独自の媒体としての活用し、信頼のあるプラットフォームとしての交流はさほどされていないように思える。

日本人は欧米諸国の人々に比べると受動的な方が多い。彼等は情報を受け取り、理解する能力は非常に高いが、自らの声を出すということに慣れている方は少ない。もちろん、日本には既にソーシャルメディアなどを通して社会活動をしたり、自分のコミュニティを作っている方はたくさんいる。しかし、群衆から抜けだして声を出す人より、何かの後を追ったり、付いて行くほうが良いと考える方のほうが多い。

リーダー、フォロワーになる割合はどの国でもフォロワーのほうが多いが、日本はフォロワーの比率がさらに多いように思える。それが結果的にソーシャルメディアの使い方にも表れているのではないだろうか。皆、情報を共有することを楽しんではいるものの、その情報に対して自分の声を発するということはあまりない。誰かの言葉に対して一言発するものの、それは対話のための言葉というより、独り言に近いニュアンスで発せされている場合もある。こうした使われ方も Web のひとつのあり方であるのは確かである。しかし、少人数・個人でも能動的にアクションを起こし、対話ができるのが Web の性質だと考えるのであるとすれば、日本は Web の真の可能性を引き出すのはこれからなのかもしれない。

311という大惨事が、受動的な我々を能動的な行動を起こすためのキッカケを与えてくれたと同時に、ソーシャルメディアのようなプラットフォームの利用、そしてスマートフォンのような Web に接触しやすいツールの活用に拍車をかけたのではないかと考えている。社会的な活動において、インフラ、ハードウェア、ソフトウェア、サービスの4つの連携と発展が欠かせなくなってきている。毎年のように表れては消える『クールなテクノロジー』だけでは誰も救ってくれないし、何の変化ももたらさない。もし上手くデザインすることが出来れば、人々の考え方や生活の仕方に変化を与えることは出来るし、その変化を Web という媒体と組み合わせて行うのであれば、先述したインフラ、ハードウェア、ソフトウェア、サービスの4つを意識しなければならないだろう。

震災時、インフラが上手く機能しなかった部分はあるものの、スマートフォンというハードウェアやソーシャルメディアサービスが新たな気付きと行動の変化のためのキッカケを与えてくれた。いずれの要素も今後発展が必要だが、広い視野をもったモノ作りがされることで、日本も能動的な Web に触れやすくなるのかもしれない。

Yasuhisa Hasegawa

Yasuhisa Hasegawa

Web やアプリのデザインを専門しているデザイナー。現在は組織でより良いデザインができるようプロセスや仕組の改善に力を入れています。ブログやポッドキャストなどのコンテンツ配信や講師業もしています。